年明け前の宿題

2002年1月8日
十二月二十九日の日記について

終わった事と言ってしまえば簡単なのだけど、それではちょっといかんかなと思って

事務局としての方針は何だったのかと

目指していたのは「皆が参加する」総会だったのか「団体に優しい」総会だったのか

今回はイデオロギーの対立とでもいうべきもので、どちらが正しいということは無いのではないか

あるいは何年か後にわかるかもしれないが

あの時は「団体に優しい」総会を目指していた人間が多かったという、それだけのことだったのではないか

しかし多数決の原理で刀を収めた会長は釈然としないだろう

会長の存在理由とは何なのか
本来は会長のもと、皆が同じ方針で動くべきである
だとすれば尊重されるべきだったのは会長の方針、すなわち「皆が参加する」総会であったのかもしれない

しかし、地理的な問題が意思疎通の邪魔をした
意見の擦りあわせをするひますら無かったのだ

原因はコミュニケーション不足、これにつきるのではないだろうか

深い溝をつくらぬ様、努力しなければ

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