人生とは

2010年3月26日 4510
人生とは
決断の連続なのだなあ

しかしもう片方の選択をするとどうなっていたか
確かめる事は出来ないので
結局最善と思われる方を選んでいくしかない訳だね

4510上のビジョンがなんかぼんやり見えてきた気がして
相手をやっつけて自分が得をするという社会は健全では無いのではないかと
全くもって綺麗事だけどね
自分がやらなければ誰かがそれをやるだけだと思うので

局所的にはやったやられたがあるのだけど
広い視点で見ると自分の首を絞めているというか
実は「世界平和」がビジョンなのかもしれないと

例えば先行きが見えないデフレの中で企業が低価格戦略とかなんとか打ち出して
そんで消費者としては少しでも安いのを買おうと考えますわね
粗利を減らして競争している会社の利益は上がりませんわね
当然アラリーマソの給与もあがりませんわね
妻からは「お父さんこんな給料じゃやっていけないわよ」
娘には「まんねんかかりちょうでうだつのあがらないおとうしゃんなんかきらい」
そうするとお父さんとしても
「そうかじゃあ今度の休みは皆で樹海に行こうロープと練炭を持って」となりますわね

だから「適正な商品を適正な価格で買う事が出来る社会であれば」と考えたの
でもそれって凄い難しい
「あきらめないぜなげださないぜ、こんな糞に負けてたまるか、金持ちに俺はなる!」
という動機付けで働けるようにつくられたのが今の社会でしょう
もっと豊かになる、他人より幸せになるという

身の回りにあるものも全部一昔前は無くて
それが出来た頃ってのは凄い感動して有難かったと思うのよ
テレビが導入された頃の人だかりとか凄いもの
ところが今はなんだって普通で当たり前というか
例えば自転車しか移動手段を持たなかったのが免許をとって車で走れるようになった時とか
最初は「車様有難う」てなもんじゃない「なんて素晴らしい乗り物なんだ」とか
でも乗っているうちにそれが普通になってしまうというか
昔の人から見れば今の状態そのものが理想かもしれないよね
或いは今の人からだって国を変えてみればそう映るかもしれない

ただその幸せとか呼ばれるものに対して我々は相当鈍感で
「また次の不満をみつけてしまうんだろう(Mチル風)」で
そうすると世界平和は夢のまた夢だなと思ったりもして

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