寝かすと育つ
ということで改めて考えたい事がある訳だが
居酒屋と思想ということである
Tallさんと昼から飲んだくれるにあたって
選択したのが塚田農場であるのだが
このチェーンはAPカンパニーという会社が経営している
ここは他にも「じとっこ」やら「わが家」やら「四十八漁場」やら
まあ色々なブランドを持っていて
居酒屋チェーンでは成功しているグループということになっている
塚田農場においては宮崎県の養鶏場と直接取引をしており
中間マージンを除く形で
地鶏を安く提供することで有名になった訳だが
自身としては鶏の味そのものにはあまり興味はなくてだね
なにかというと
ここでは社員が1組の客につき数百円分の決済を持たされていて
サプライズ的な取り組みをすることができるのである
で彼等彼女等が一体どういったものを出してくるのか見たくなって
思いついた時に入ってみるということなのである
そんで塚田農場はこれまで5回程度利用していると思うのだが
いつも安心の残念感なのである
彼等のやり口はこうだ
地鶏を食した後の鉄板に米を入れて再加熱してハート形にして提供
そんで「これはサービスです油もおいしいので是非ご飯と一緒に食べてみて下さい」
今回はよく分からん調味料を途中でサービスというのもあったな
それからカードを作るという名目で聞き出した名前を盛り込んで
チョコレートかなんかでメッセージを書いたデザート皿を提供
これらで毎回残念な気持ちになる訳だね
スイカを思い出すといったら理解し易いかもしれない
ある時GMでOBとして後輩に会った時に
彼等が嬉々として話してくれたのは
「僕たちもスイカ企画をやりましたとっても盛り上がりました」てね
実に残念に感じたのである
当然のことながらスイカは手段であって目的ではない訳だ
つまりこちらには「なぜ?」が先にあって
それを達成するための手段が2005年のあの夏において
あの時のGMメンバーにとってはスイカ企画であったというだけの話で
後輩がその行為をなぞる必要は全くない訳だね
「前例があるからそれを踏襲しよう」て
そら公務員に任せておけば宜しいですよそんなもの
これは企画なんだから
GMは自由な空間でなんだってできる環境なのだから
自分たちの世代だからできるもの
自分たちのチームだからできるものを考えればいいじゃないかと
それが彼等の時にも偶然スイカだったとしたらそれは凄い奇跡であるのだが
普通に考えれば無数にある可能性から
スイカにたどり着く確率は数パーセントもないと思うもので
結局大して検討することもなく安易に前例を踏襲しただけなのだろうなと
もっといえば彼等にとってはスイカが「目的」であって
こちらが目的を達成する「手段」として作りあげたスイカスキームに則って
それを無難に運用することが彼等にとっての至上命題であって
いつもの言葉でいえば彼等は立派な歯車予備軍として育成されていった訳である
塚田農場についても同じことで
従業員に与えられた数百円の使い道は自由なはずなんだ
そら実際のところの内情は知らんけれども
会社の意図としてはこれを用いて従業員のクリエティビティを発揮してほしいと
そういうことだろうと思う訳で
そんだらさ
「地鶏の数を何個か増やしてみました」でもいいじゃない
「タルタルソースかけ放題です」とかいって目の前で好きなだけかけるでもいいじゃない
「ドリンクのジョッキを大きくしてみました」でもいいじゃない
「彼女へのお土産にどうぞ」なんて小物を渡す方法もあるだろうね
「殿様座布団を用意しました」なんてこともできるかも
「これは僕専用の呼び出し笛です」なんてブブゼラを渡すこともできるかもしれない
これは使用後そのまま持ち帰ってもらうかゴミ箱かしらんけど
なんの集まりかは知らんけど皆にクラッカーを配って「乾杯!」なんて鳴らしてみるとか
まあこちらが考えろと言われれば数分で数十個は出てきますよそんなもの
当然自分がやりたい事をやるというだけでは
対象不在の自慰ショーであるもので
「今日はどんな集まりなんですか?」「なんでうちを選んでくれたんですか?」なんて
客が欲しているものを会話の中で聞き出したりして
どんな手を打つのが効果的なのかなんて考えてだね
そんなことをしているうちに店員と客の距離も縮まって
店と客という付き合いから店員と客という関係性も生まれる訳で
店員のファンという客ができればこれは会社にとってもありがたい
素晴らしい取り組みになっていく可能性を持っている訳だね
それなのに
それなのになぜどの店舗でもどの店員も
皆同じことを同じようにしかやらないんだと
鉄板で米をこねくりまわして油と混ぜてぎとぎとにして
ハート形にして出す所までまるで同じですよどの店舗でも
これのなにが面白いのだろうね
だってこのとき光は糖質制限をしていて
残り2人は別に米を欲してはいなくて
結局光がTallさんの無茶振りに乗る形で笑いに変えたからその場が成り立った訳で
こら光の手腕が褒められるだけの話だわね
デザート皿にしたってまさに皆が腰を上げる瞬間に届いたもので
これまた光が無理やりやっつけて
メッセージなんか誰も読んじゃいないですよ
そうすると結局自分達がそれをやりたいだけなんじゃないのという
自慰ショーの域を出ないわね
まあ難しい部分もあって
企画というのは「相手の期待を知りそれを越える」という観点であると思うのだが
一度経験してしまうとそれは受け手にとって「普通」のことになってしまうことで
鉄板ギミックだって初めての場合は感動してもらえるかもしれないね
「わーサービスでこんなことをして貰って嬉しい!」なんて
ところが次回はそれが普通になってしまっていて
逆にそれがないと「なんだよ前回はやってくれたのに今回は無しかよ」と
こういう状態に陥いる可能性を孕んでいるということだね
特に居酒屋においての考え方は
一番忙しい時でも提供できるサービスをスタンダードにするということであるから
例えば店が空いている日に来てくれた客に色々サービスをしたとしようか
そんでそこが気に入った客が仲間を連れて再来店したとする
ところがその日は混雑していてそんなサービスが何もできなかった
そうすると客は期待を上げて来ているものでその分失望も大きいわね
「なんだよ前回はあんなに色々してくれたのに二度と来るかこんな店」となる
暇な時にだけしかできないサービスはやってはいけないという考え方である
だからバランスを取りながら取り組むことはなかなか難しいとは思う
でも鉄板で米をこねくりまわすのと最後のメッセージ付きデザートは
どこの店に行っても同じ仕様で同じ仕上がりで
同じものが毎回出てきたのである
とすりゃこれは只のオペレーションで
「こうすることになっているのでやりました」或いは「皆やっているので私もやりました」
それは歯車従業員による歯車的取り組みであるわね
企画マインドからは程遠いですよこんなもの
まあTallさんにいわせれば「期待などするから絶望がある」ということだろうな
それは理解している
いくら自由な裁量を持たされたとしたって
クリエイティビティを持たない歯車が考えられることなんてのは限られているもので
それなら前例を踏襲して
大きな驚きもないが失敗もしないというところに落ち着いたほうが安心できる
彼等彼女等にとっては前例のあるものを前例の通りにやった方がいい訳であって
本当スイカ企画と被るのである
シャンパン王子は過去の来店経験を聞いてきた訳だ
だから自分はまた期待してしまった
こちらは数店舗の利用経験があると回答した
とすれば鉄板油飯ギミックだってメッセージデザートギミックだって味わっているはず
それならシャンパン王子にしか出せないものを提供すれば
それは期待を越えるということになるから
「ここが腕の見せ所だな」と
そう思わんのかなと
まあ客がいなくて空いている店内でさつま揚げを単なるオーダーミスで持ってくる時点で
その店舗の質は従業員の質はお察しといえばお察しではある
ただし自分の生き方として常に期待はする訳で
ここに関してはもうどうにも変えられんと思っている訳で
これは糞が人間になることへの期待だったり
相手が能力を発揮することへの期待だったり
もっと大きく捉えるのなら赤のピルを飲むことへの期待だったり
つまり自身が取り組もうとしていることが
有態にいえば相手の能力開発に携わることであって
相手の良さの発現に力を貸したいということであって
そら何度も書いたように能力そのものを与えることはできないわね
こちらができることは水をやって日に当てて土を変えて花が咲くのをじっと待つだけである
つまり環境を整え気付きを与えることだけであるが
それによって相手が奇麗に花を咲かせることへの期待は無くすことができない訳で
もしこの思いが無くなるとすれば
現在に至るまでの取り組みは意味を無くすだろうし
ひいては自身の存在価値が無くなることになるだろうなという位の思いである
まあ自身はAPカンパニーの社員でもないし教育係でもないし
別に社員教育について何か言えた義理でもない訳であるが
相手がどんな状況にいても
そこで奇麗な花を咲かせることへの期待は持っているし
また持たずにはいられないということである
ということで改めて考えたい事がある訳だが
居酒屋と思想ということである
Tallさんと昼から飲んだくれるにあたって
選択したのが塚田農場であるのだが
このチェーンはAPカンパニーという会社が経営している
ここは他にも「じとっこ」やら「わが家」やら「四十八漁場」やら
まあ色々なブランドを持っていて
居酒屋チェーンでは成功しているグループということになっている
塚田農場においては宮崎県の養鶏場と直接取引をしており
中間マージンを除く形で
地鶏を安く提供することで有名になった訳だが
自身としては鶏の味そのものにはあまり興味はなくてだね
なにかというと
ここでは社員が1組の客につき数百円分の決済を持たされていて
サプライズ的な取り組みをすることができるのである
で彼等彼女等が一体どういったものを出してくるのか見たくなって
思いついた時に入ってみるということなのである
そんで塚田農場はこれまで5回程度利用していると思うのだが
いつも安心の残念感なのである
彼等のやり口はこうだ
地鶏を食した後の鉄板に米を入れて再加熱してハート形にして提供
そんで「これはサービスです油もおいしいので是非ご飯と一緒に食べてみて下さい」
今回はよく分からん調味料を途中でサービスというのもあったな
それからカードを作るという名目で聞き出した名前を盛り込んで
チョコレートかなんかでメッセージを書いたデザート皿を提供
これらで毎回残念な気持ちになる訳だね
スイカを思い出すといったら理解し易いかもしれない
ある時GMでOBとして後輩に会った時に
彼等が嬉々として話してくれたのは
「僕たちもスイカ企画をやりましたとっても盛り上がりました」てね
実に残念に感じたのである
当然のことながらスイカは手段であって目的ではない訳だ
つまりこちらには「なぜ?」が先にあって
それを達成するための手段が2005年のあの夏において
あの時のGMメンバーにとってはスイカ企画であったというだけの話で
後輩がその行為をなぞる必要は全くない訳だね
「前例があるからそれを踏襲しよう」て
そら公務員に任せておけば宜しいですよそんなもの
これは企画なんだから
GMは自由な空間でなんだってできる環境なのだから
自分たちの世代だからできるもの
自分たちのチームだからできるものを考えればいいじゃないかと
それが彼等の時にも偶然スイカだったとしたらそれは凄い奇跡であるのだが
普通に考えれば無数にある可能性から
スイカにたどり着く確率は数パーセントもないと思うもので
結局大して検討することもなく安易に前例を踏襲しただけなのだろうなと
もっといえば彼等にとってはスイカが「目的」であって
こちらが目的を達成する「手段」として作りあげたスイカスキームに則って
それを無難に運用することが彼等にとっての至上命題であって
いつもの言葉でいえば彼等は立派な歯車予備軍として育成されていった訳である
塚田農場についても同じことで
従業員に与えられた数百円の使い道は自由なはずなんだ
そら実際のところの内情は知らんけれども
会社の意図としてはこれを用いて従業員のクリエティビティを発揮してほしいと
そういうことだろうと思う訳で
そんだらさ
「地鶏の数を何個か増やしてみました」でもいいじゃない
「タルタルソースかけ放題です」とかいって目の前で好きなだけかけるでもいいじゃない
「ドリンクのジョッキを大きくしてみました」でもいいじゃない
「彼女へのお土産にどうぞ」なんて小物を渡す方法もあるだろうね
「殿様座布団を用意しました」なんてこともできるかも
「これは僕専用の呼び出し笛です」なんてブブゼラを渡すこともできるかもしれない
これは使用後そのまま持ち帰ってもらうかゴミ箱かしらんけど
なんの集まりかは知らんけど皆にクラッカーを配って「乾杯!」なんて鳴らしてみるとか
まあこちらが考えろと言われれば数分で数十個は出てきますよそんなもの
当然自分がやりたい事をやるというだけでは
対象不在の自慰ショーであるもので
「今日はどんな集まりなんですか?」「なんでうちを選んでくれたんですか?」なんて
客が欲しているものを会話の中で聞き出したりして
どんな手を打つのが効果的なのかなんて考えてだね
そんなことをしているうちに店員と客の距離も縮まって
店と客という付き合いから店員と客という関係性も生まれる訳で
店員のファンという客ができればこれは会社にとってもありがたい
素晴らしい取り組みになっていく可能性を持っている訳だね
それなのに
それなのになぜどの店舗でもどの店員も
皆同じことを同じようにしかやらないんだと
鉄板で米をこねくりまわして油と混ぜてぎとぎとにして
ハート形にして出す所までまるで同じですよどの店舗でも
これのなにが面白いのだろうね
だってこのとき光は糖質制限をしていて
残り2人は別に米を欲してはいなくて
結局光がTallさんの無茶振りに乗る形で笑いに変えたからその場が成り立った訳で
こら光の手腕が褒められるだけの話だわね
デザート皿にしたってまさに皆が腰を上げる瞬間に届いたもので
これまた光が無理やりやっつけて
メッセージなんか誰も読んじゃいないですよ
そうすると結局自分達がそれをやりたいだけなんじゃないのという
自慰ショーの域を出ないわね
まあ難しい部分もあって
企画というのは「相手の期待を知りそれを越える」という観点であると思うのだが
一度経験してしまうとそれは受け手にとって「普通」のことになってしまうことで
鉄板ギミックだって初めての場合は感動してもらえるかもしれないね
「わーサービスでこんなことをして貰って嬉しい!」なんて
ところが次回はそれが普通になってしまっていて
逆にそれがないと「なんだよ前回はやってくれたのに今回は無しかよ」と
こういう状態に陥いる可能性を孕んでいるということだね
特に居酒屋においての考え方は
一番忙しい時でも提供できるサービスをスタンダードにするということであるから
例えば店が空いている日に来てくれた客に色々サービスをしたとしようか
そんでそこが気に入った客が仲間を連れて再来店したとする
ところがその日は混雑していてそんなサービスが何もできなかった
そうすると客は期待を上げて来ているものでその分失望も大きいわね
「なんだよ前回はあんなに色々してくれたのに二度と来るかこんな店」となる
暇な時にだけしかできないサービスはやってはいけないという考え方である
だからバランスを取りながら取り組むことはなかなか難しいとは思う
でも鉄板で米をこねくりまわすのと最後のメッセージ付きデザートは
どこの店に行っても同じ仕様で同じ仕上がりで
同じものが毎回出てきたのである
とすりゃこれは只のオペレーションで
「こうすることになっているのでやりました」或いは「皆やっているので私もやりました」
それは歯車従業員による歯車的取り組みであるわね
企画マインドからは程遠いですよこんなもの
まあTallさんにいわせれば「期待などするから絶望がある」ということだろうな
それは理解している
いくら自由な裁量を持たされたとしたって
クリエイティビティを持たない歯車が考えられることなんてのは限られているもので
それなら前例を踏襲して
大きな驚きもないが失敗もしないというところに落ち着いたほうが安心できる
彼等彼女等にとっては前例のあるものを前例の通りにやった方がいい訳であって
本当スイカ企画と被るのである
シャンパン王子は過去の来店経験を聞いてきた訳だ
だから自分はまた期待してしまった
こちらは数店舗の利用経験があると回答した
とすれば鉄板油飯ギミックだってメッセージデザートギミックだって味わっているはず
それならシャンパン王子にしか出せないものを提供すれば
それは期待を越えるということになるから
「ここが腕の見せ所だな」と
そう思わんのかなと
まあ客がいなくて空いている店内でさつま揚げを単なるオーダーミスで持ってくる時点で
その店舗の質は従業員の質はお察しといえばお察しではある
ただし自分の生き方として常に期待はする訳で
ここに関してはもうどうにも変えられんと思っている訳で
これは糞が人間になることへの期待だったり
相手が能力を発揮することへの期待だったり
もっと大きく捉えるのなら赤のピルを飲むことへの期待だったり
つまり自身が取り組もうとしていることが
有態にいえば相手の能力開発に携わることであって
相手の良さの発現に力を貸したいということであって
そら何度も書いたように能力そのものを与えることはできないわね
こちらができることは水をやって日に当てて土を変えて花が咲くのをじっと待つだけである
つまり環境を整え気付きを与えることだけであるが
それによって相手が奇麗に花を咲かせることへの期待は無くすことができない訳で
もしこの思いが無くなるとすれば
現在に至るまでの取り組みは意味を無くすだろうし
ひいては自身の存在価値が無くなることになるだろうなという位の思いである
まあ自身はAPカンパニーの社員でもないし教育係でもないし
別に社員教育について何か言えた義理でもない訳であるが
相手がどんな状況にいても
そこで奇麗な花を咲かせることへの期待は持っているし
また持たずにはいられないということである
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