久しぶりに数学に取り組んでいる訳だが
なんだか凄いものだったのだなと思ってね
結局学校で教える数学というものが何かというと
数学的真理を用いて課題を解決するということであってね
数学の世界には余弦定理とか中点連結定理とか
絶対的な正しさがある訳よ
それを与えられた問題にどう活用して解を見つけるかという
なかなか面白い構造なのだなと
数学者になるでもなければ数学そのものは役に立たんと
まあそれはそうかもしれんわね
ただし社会に出た時に役に立つというのはつまりこの思考法であって
つまり会社から「今回の商談は1マソまで値引きしていい」という「正しさ」を与えられたとき
それをどう活用して客との商談に取り組むのかという
これが数学的思考の活用になるのではないかなと
数学なら補助線を引いたり既に習った別の定理を使ってみたり
いろいろ工夫して解を求めようとするわね
4510においても室温を工夫してみたり茶でも出してみたり
今までの交渉で使った定理やその時の解なんかも確認しながら
そんでここぞという時に「1マソ値引きの定理」を繰り出して
見事商談を成功させるというか
これを論理的思考に基づいて行っているのであれば
実に数学的であると思った
そうすると数学の魅力は絶対的な正しさが存在するということかな
定理は誰がやっても何度やっても同じ結果になるので定理だわね
そうすると課題はそれを使うタイミングを見極めること
それを使えるような環境を整えることになる訳である
商談はそうはいかんわね
人によっても結果が変わるし状況によっても結果が変わる
そもそも誰にでも通用する定理はないし
解も一つではないことがある訳である
金が素晴らしいツールていったって
幾ら積んでもそれに転ばない人間もいるし
命が素晴らしいツールていったって
使命の為にそれを投げ出す人間もいるし
ファ○クが素晴らしいツールていったって
そこに興味を持たない人間もいるし
まあ最後の例はいらんかったかもしれないが
だから絶対的正しさを持った問題解決の為のツールがあって
それを正しく使えればひとつの解を求められる構造というのは
実に美しいなと思った訳である
数学に魅かれる人がいるというのをようやく少し理解できた気になったのである
まあ高校時代IAあたりで嫌になって
数学の時間はお昼寝時間になっていた人間からすると
経験によって新たな視点が加わったなということと
この視点は気付きを与えて揺さぶる時の一つのツールになるかもしれないと
その位の認識ではあるのだが
なんだか凄いものだったのだなと思ってね
結局学校で教える数学というものが何かというと
数学的真理を用いて課題を解決するということであってね
数学の世界には余弦定理とか中点連結定理とか
絶対的な正しさがある訳よ
それを与えられた問題にどう活用して解を見つけるかという
なかなか面白い構造なのだなと
数学者になるでもなければ数学そのものは役に立たんと
まあそれはそうかもしれんわね
ただし社会に出た時に役に立つというのはつまりこの思考法であって
つまり会社から「今回の商談は1マソまで値引きしていい」という「正しさ」を与えられたとき
それをどう活用して客との商談に取り組むのかという
これが数学的思考の活用になるのではないかなと
数学なら補助線を引いたり既に習った別の定理を使ってみたり
いろいろ工夫して解を求めようとするわね
4510においても室温を工夫してみたり茶でも出してみたり
今までの交渉で使った定理やその時の解なんかも確認しながら
そんでここぞという時に「1マソ値引きの定理」を繰り出して
見事商談を成功させるというか
これを論理的思考に基づいて行っているのであれば
実に数学的であると思った
そうすると数学の魅力は絶対的な正しさが存在するということかな
定理は誰がやっても何度やっても同じ結果になるので定理だわね
そうすると課題はそれを使うタイミングを見極めること
それを使えるような環境を整えることになる訳である
商談はそうはいかんわね
人によっても結果が変わるし状況によっても結果が変わる
そもそも誰にでも通用する定理はないし
解も一つではないことがある訳である
金が素晴らしいツールていったって
幾ら積んでもそれに転ばない人間もいるし
命が素晴らしいツールていったって
使命の為にそれを投げ出す人間もいるし
ファ○クが素晴らしいツールていったって
そこに興味を持たない人間もいるし
まあ最後の例はいらんかったかもしれないが
だから絶対的正しさを持った問題解決の為のツールがあって
それを正しく使えればひとつの解を求められる構造というのは
実に美しいなと思った訳である
数学に魅かれる人がいるというのをようやく少し理解できた気になったのである
まあ高校時代IAあたりで嫌になって
数学の時間はお昼寝時間になっていた人間からすると
経験によって新たな視点が加わったなということと
この視点は気付きを与えて揺さぶる時の一つのツールになるかもしれないと
その位の認識ではあるのだが
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