演劇と歯車

2016年6月18日 考察
今回珍しく年配の演者が出ていたもので
多分40代とか50代である
割と上手いなと思った部分があって
エンターテインメントとしての演劇というのは2種類の仕上げ方があるのかなと

ひとつは物凄いリアリティというところである
50代くらいのお父さんの動きというのはなかなか凄くて
山田太郎という役名があるとすれば
本当にそこに山田太郎がいるかのような動きだったのである
目線の使い方手の動かし方体の運び方
これらが山田太郎を形作っていって
なんというか演者が山田太郎を演じているのではなく
山田太郎がその場に出ているというような気にさせられたわけである
これは演劇におけるひとつの完成系なのかなと

もうひとつは演劇的キャラクターの追求といったところであるが
40代お父さんが演じていた鈴木一郎はリアクションが大げさであって
目の見開き方とか不意に回転させるような体の動かし方
例えばTVであるとするとこの動きは誇張し杉でかなり不自然なのであるが
演劇という場であると非常に映えるというかね

プロレスに引き付けて考えると
リアリティの追求かエンターテインメント性の追求かといった感じで
つまり強さというリアリティを追求した場合
笑いの要素はなくて鍛えた体をぶつけてその痛さや迫力で説得力を持たせる方法と
一方でプロレス的表現の追求
華麗な技の応酬トップロープから飛んでみたり場外に舞ってみたり
これは現実世界であればそんなことにはならないよというものではあるのだが
プロレスという空間においてはそれが非常に映えるという
そういう構造なのではないか

まあこの場合どちらにも価値があるなというのと
リアリティが好きなのかエンターテインメントが好きなのかという
観る側の好みにも拠るだろうなと思ったわけである

で今回メインで書きたいのはそこではなくて

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