馬鹿で低能で糞であるのかを
書きたくなってしまった事案
道徳が教科化されましたな
そうするとこれの指導には検定教科書を使用して
評価もすることになった訳で
https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/tokushu/chudoutoku/cat1/cat11/post-6.html
ところがよ
この検定教科書の糞さといったらもう堪らんなと
これが偉い人間のチェックを乗り越えて
ちびっ子用に自信をもって発行されていると思うと
もう本当忸怩たる思いなのである
タイトルは「いのちを考える」である
最初のページには色々な生き物の絵が描いてある
ニワトリやらブタやらイカもやらクジラやらネズミやらイヌやらカラスやら
そんで
「皆さんが好きな生き物はどれですか」
「いなくなったら困る生き物はどれでしょう」なんて文が書いてある
まあそこまでは良いわ
いや駄目なのだがここから書いていると
全く終わりが見えないので取り敢えずいいわ
そんで次からが糞展開なのである
「なぜ殺してはいけないのか」というタイトルが打たれていて
その本文の書きだしが以下の通り
「人を殺してはいけない」という考えに反対する人はいません。
それでは、そもそも私たちはなぜ人を殺してはいけないのでしょうか
HA?てなもんである
「反対する人はいません」て
いませんでしたいませんでしたて
これを何故言い切ってしまうのか
本当に馬鹿で馬鹿で愚かで愚かで
勿論この本の中では
正しさは「時代」と「社会」によって決まるということも伝えてはいないし
製作者はそもそもそんな思考も持っていないかもしれないわね
とはいえ検定教科書様が
「反対する人はいません」と言い切ってしまうところに
とんでも無い気持ち悪さを感じるというか
ちびっ子達をそういう方向に仕向けたいのだとしてもよ
「反対する人はいて欲しくないし、いないと信じています」
くらいにしておけばまだね
じゃ死刑制度が続いている現状をどう説明するのかと
これだけで「ぐぬぬ」ていう話でしょうが
馬鹿だな本当馬鹿だな
結局この社会が考える正しさを押し付ける形になってしまっているのよね
別に最終的な答えはそれで良いよ
「人を殺してはいけないと思いました」てちびっ子がなればね
とはいえそれをあらゆる時代と社会を貫く真理であるかのように
定義も曖昧状況も絞り切れない中で主張してしまうのは如何なものかと
愚かである
そんでこの文は更に続くのだがまたこれが糞なのである
この難しい問いに私なりの答えを出そうと悩んでいた時、
小学生の頃に祖父から言われたひと言を思い出しました。
それは、祖父が大切にしている時計を、
おもしろがって、ばらばらにしていた時のこと。
その様子をそばで見ていた祖父が、
「自分で元に戻せないのなら、壊してはいけないよ」
と、私に声をかけてきたのです。
私たち人間に、殺された人間を生き返らせることは、絶対にできないのです。
「自分で生き返らせることができないから、人を殺してはいけないよ」。
これは、人間として生きるための最低限の約束ごとといえるかもしれません。
溢れ出る「なにいってだこいつ」なのであるが
あったかどうかも分からない捏造したような祖父との思い出話を持ち出して
この大きくて非常に複雑な問題に答えたような振りをしているのが
気持ち悪いといったらないわね
幼稚園児ならこれでひとまずは「わかった」となるかもしれないが
もう少し大きなちびっ子にこれでどうにかしようというところがね
そんだら元に戻してほしくない連中はどうなるのか
積極的に壊してほしい連中はどうなるのか
逆に戻せるものであれば何でも壊して良いのかとか
糞みたいな思い出話風で
「なぜ殺してはいけないのか」を説明した気分でいる感がね
人間として生きるための最低限の約束ごとといえるかもしれません
という糞目線も相まって糞オブ糞であって
なんというか
へんな話をこねくり回して煙に巻いた感がありありなのである
こうやっているから馬鹿が増えるし
このアプローチの蓄積が分かったような気で全く本質を理解できない
歯車を量産していくのだろうなと
まだ続くのだが寝てからである
書きたくなってしまった事案
道徳が教科化されましたな
そうするとこれの指導には検定教科書を使用して
評価もすることになった訳で
https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/tokushu/chudoutoku/cat1/cat11/post-6.html
ところがよ
この検定教科書の糞さといったらもう堪らんなと
これが偉い人間のチェックを乗り越えて
ちびっ子用に自信をもって発行されていると思うと
もう本当忸怩たる思いなのである
タイトルは「いのちを考える」である
最初のページには色々な生き物の絵が描いてある
ニワトリやらブタやらイカもやらクジラやらネズミやらイヌやらカラスやら
そんで
「皆さんが好きな生き物はどれですか」
「いなくなったら困る生き物はどれでしょう」なんて文が書いてある
まあそこまでは良いわ
いや駄目なのだがここから書いていると
全く終わりが見えないので取り敢えずいいわ
そんで次からが糞展開なのである
「なぜ殺してはいけないのか」というタイトルが打たれていて
その本文の書きだしが以下の通り
「人を殺してはいけない」という考えに反対する人はいません。
それでは、そもそも私たちはなぜ人を殺してはいけないのでしょうか
HA?てなもんである
「反対する人はいません」て
いませんでしたいませんでしたて
これを何故言い切ってしまうのか
本当に馬鹿で馬鹿で愚かで愚かで
勿論この本の中では
正しさは「時代」と「社会」によって決まるということも伝えてはいないし
製作者はそもそもそんな思考も持っていないかもしれないわね
とはいえ検定教科書様が
「反対する人はいません」と言い切ってしまうところに
とんでも無い気持ち悪さを感じるというか
ちびっ子達をそういう方向に仕向けたいのだとしてもよ
「反対する人はいて欲しくないし、いないと信じています」
くらいにしておけばまだね
じゃ死刑制度が続いている現状をどう説明するのかと
これだけで「ぐぬぬ」ていう話でしょうが
馬鹿だな本当馬鹿だな
結局この社会が考える正しさを押し付ける形になってしまっているのよね
別に最終的な答えはそれで良いよ
「人を殺してはいけないと思いました」てちびっ子がなればね
とはいえそれをあらゆる時代と社会を貫く真理であるかのように
定義も曖昧状況も絞り切れない中で主張してしまうのは如何なものかと
愚かである
そんでこの文は更に続くのだがまたこれが糞なのである
この難しい問いに私なりの答えを出そうと悩んでいた時、
小学生の頃に祖父から言われたひと言を思い出しました。
それは、祖父が大切にしている時計を、
おもしろがって、ばらばらにしていた時のこと。
その様子をそばで見ていた祖父が、
「自分で元に戻せないのなら、壊してはいけないよ」
と、私に声をかけてきたのです。
私たち人間に、殺された人間を生き返らせることは、絶対にできないのです。
「自分で生き返らせることができないから、人を殺してはいけないよ」。
これは、人間として生きるための最低限の約束ごとといえるかもしれません。
溢れ出る「なにいってだこいつ」なのであるが
あったかどうかも分からない捏造したような祖父との思い出話を持ち出して
この大きくて非常に複雑な問題に答えたような振りをしているのが
気持ち悪いといったらないわね
幼稚園児ならこれでひとまずは「わかった」となるかもしれないが
もう少し大きなちびっ子にこれでどうにかしようというところがね
そんだら元に戻してほしくない連中はどうなるのか
積極的に壊してほしい連中はどうなるのか
逆に戻せるものであれば何でも壊して良いのかとか
糞みたいな思い出話風で
「なぜ殺してはいけないのか」を説明した気分でいる感がね
人間として生きるための最低限の約束ごとといえるかもしれません
という糞目線も相まって糞オブ糞であって
なんというか
へんな話をこねくり回して煙に巻いた感がありありなのである
こうやっているから馬鹿が増えるし
このアプローチの蓄積が分かったような気で全く本質を理解できない
歯車を量産していくのだろうなと
まだ続くのだが寝てからである
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