話そうと思っている話題なのであるが
【悲報】
井岡「刺青いれたで」
JBC「処分するで」
井上「ルールは守れ」
彫師団体「差別するな」
http://alfalfalfa.com/articles/297441.html
井岡一翔の「タトゥー問題」で、JBCが犯した「決定的な大失敗」
https://news.yahoo.co.jp/articles/03603a337b746f1dc8939c6ec394ee45072de2af?page=1
〇JBCの「答え方」の問題
プロボクシングの世界チャンピオンである井岡一翔の左腕にある入れ墨が大きな騒ぎになっている。実のところ、これは日本ボクシングコミッション(以下JBC)の大失態である。それは入れ墨のある井岡をリングに上げたことではなく、JBCの安河内剛事務局長がデイリー新潮の取材に対し、「ルール違反は明らかで、現在、対応を検討中です」と答えてしまったことである。
この返答を受けて、デイリー新潮は『井岡一翔、「タトゥー」で処分へ JBCは「ルール違反。対応検討中」』として報じ、世間は「入れ墨を入れた井岡が処分される」という認識、つまりは井岡が問題を起こしたという話になった。
それがなぜ大失態かといえば、ボクシング界において「入れ墨禁止ルール」は近年、撤廃したほうが良いものとして捉えられていたからである。要するにJBCは、現在の方針とは噛み合わない答え方をして批判を浴びているのである。
この返答が「ファンデーションで隠す措置をしたはずが剥がれてしまったので、今後はルール改正も含め、そういう場合の対応を協議する」程度にしておけば、不可抗力のミステイク程度に終わったが、答え方を誤って、騒ぎを自ら大きくして首を絞める結果になっている。
「ボクシングの試合ルールで入れ墨が禁じられているのに、井岡はJBCによりリングに上がることを許されている」と批判する向きもあるが、入れ墨を理由にプロモーターとテレビ局が組んだ井岡の試合を拒否することなど、たかが業界団体のコミッションには難しい判断だ。その点において、この見方は誤っている。
〇JBCがやってきたこと
また、刺青は日本において嫌悪感を抱かれているから、井岡が処分を受けるのは仕方がないのではないか、という見方もある。
「日本には罪人への刑罰として『刺青』の文化や、反社会勢力の方の多くが刺青をしている事から嫌悪感がまだあるのは仕方ないと少し思う」
ツイッターでこう書いたのはタレントの武井壮だ。そのとおり、入れ墨は多くの日本人にとって好まれていないが、しかしそれが、この十数年のJBCの努力を無視した意見だということも指摘しておく必要があるだろう。
この15年ほどで日本は暴力団の徹底排除をしてきたし、ボクシング界はJBCが主体となって警察と連携、暴力団の観戦を消滅させているからだ。
実際、リングの外に目をやっても、そうした暴力団排除の動きは顕著だろう。アウトローやサブカルチャーを長く取材してきた筆者から見ても、たしかに2005年ぐらいまでは、彫り師と暴力団が繋がっているケースが多かった。しかしその後、暴力団排除が進み、本物の反社会的勢力にはならない、チョイワル気取りの若者がファッション的に入れ墨を入れるようになったのである。現在のタトゥースタジオで働く人々の様相は、かつての彫り師とは違ってきている。
井岡は試合に際してラッパーを連れてリングに入場したが、これもやはり、彼がいわゆるオラオラ系やB系ともいわれたストリートファッションを好んでいること、分かりやすく言えばヤンキー文化のようなものに魅力を感じていることを示しており、タトゥーもその延長線上にあることがわかる。
この手のオラオラ系のファッションは、ほかの場所でも見られる。たとえばプロレス界では、以前、後ろ髪を伸ばすのが流行っていたし、佐々木健介や天山広吉といった選手はそうした髪型にくわえて、同時に刺繍ジャンパーを着たりもしていた。それは、いかにもカウンターカルチャーの精神だった。
ただ、一般人の多くはそのストリートファッションにも憧れてはいないから、井岡の入れ墨を見て「かっこいい」とは思わず、今回の問題に「入れ墨は嫌い」と感じ、「処分やむなし」と感じているだけである。
〇入れ墨禁止ルールができたワケ
しかしそもそも、なぜボクシング界は入れ墨に関して禁止ルールを作ったのだろうか。それは、かつてのボクシング界では興行と暴力団が密接な関係があったわけだが、それに対する世間からの批判を受けて、「目に見える対策」を見せなければならなかったからである。
入れ墨をNGにしたのはゴールデンタイムに試合中継していたテレビ局からの注文でもあった。なにしろ少し前まではリングサイドに暴力団組員が普通に座っていたのだった。
しかし、時代は変わり、明らかに暴力団と無関係なファッション・タトゥーを入れる若者が出てきて、格闘技イベントのRIZINでも、次から次へと入れ墨を入れた選手が登場している。肉体を見せる仕事だからこそ、タトゥーをアクセサリーにしたがるのは十分に理解できることだ。
こうした動向を黙認するような動きもある。たとえば、ボクシング界では日本のジムに所属しているベネズエラ人の元世界王者ホルヘ・リナレスほどになると、後楽園ホールのリングに上がる際も入れ墨をファンデーションで隠させるなんて苦肉の策はさせていない。日本人でも胸にワンポイント入っている程度なら許容しているのが実情だ。
〇ルールを改正しておけばよかった
現状、ボクシング界において、選手に入れ墨を禁止することは、実際にはかなり難しい。競技人口の減少に悩む中、入れ墨を理由に若者を排除していたら人材不足になるからだ。事実、JBCも2019年の広報誌で、時代の変化を理由に、このルールについて議論するべきだと自ら提案していたのである――たくさんのサッカー選手も入れ墨をしていることが引き合いに出されていた。
しかし、村社会的なボクシング界。ルール違反の井岡に「ファンデーションで隠してくれたら」と良くも悪くも「内輪ノリ」で許してしまった――本来は、「タトゥーOK」とルールのほうを上手に改正しておけばよかったのだが。
対して中学生の反抗期みたいヤンキー的な志向になっている井岡は、塗りを薄くしてリングに上がった。
井上尚弥はツイッターで「タトゥー、刺青が『良い悪い』ではなくJBCのルールに従って試合をするのが今の日本で試合をする上での決まり事。このルールがある以上守らなければね。タトゥー、刺青を入れて試合がしたいのならルール改正に声をあげていくべき」としたが、一方の井岡はそんな業界に革命を起こすために入れ墨を広げたわけではないように見える。単なるストリートファッションだから真正面から業界と戦う気はなく、校則破った生徒みたいに中途半端なルール破りをしただけだ。
ファンデーションはしっかり塗ればタトゥーを消すことができるもので、実際に背中一面に入れ墨が入っている別の元世界王者は、いまだ問題にならず試合をしている。
そんな井岡個人のセンスはともかく、これはプロボクシングという競技にとっての重要な問題だ。世間が入れ墨が嫌いであろうとなかろうと、ボクシングにとって最も良い方法を見つけねばならない。
近年、反社と関与しないことはライセンス取得時に誓約させているから、入れ墨を入れるか否かは、基本的には、選手の自由な選択に過ぎない。そうなると、こんな徹底しにくい「タトゥー禁止」などというルールは無用で、実際にそんなルールがなければこんな騒ぎになっていなかった。そのうえで、世間の入れ墨嫌いは井岡を嫌いになればいいだけのことだ。
できれば世間がこのルールについて注目しない間に、ルールを撤廃しておけば都合が良かったが、安河内事務局長がマスコミ相手に権力者を気取りたかったのか、処分を決める倫理委員会での協議もしていないのに処分ありきの返答をしてしまった。これによってルール撤廃の話がむしろやりにくくなってしまったのが今回の顛末である。いまJBCには抗議の電話やメールが殺到しているという。
井岡が大晦日のリングに上がった時点では世間で批判など持ち上がっていなかったのに、これでしばらくは小さなタトゥーを入れているボクサーや、入れ墨だらけの外国人選手の是非も問われることだろう。リング上には傷口を塞ぐのが得意なセコンドの達人がいっぱいいるのに、社会的な動きのなかで自分で傷口を広げてしまったボクシング界…というのはなんとも皮肉な話である。
【悲報】
井岡「刺青いれたで」
JBC「処分するで」
井上「ルールは守れ」
彫師団体「差別するな」
http://alfalfalfa.com/articles/297441.html
井岡一翔の「タトゥー問題」で、JBCが犯した「決定的な大失敗」
https://news.yahoo.co.jp/articles/03603a337b746f1dc8939c6ec394ee45072de2af?page=1
〇JBCの「答え方」の問題
プロボクシングの世界チャンピオンである井岡一翔の左腕にある入れ墨が大きな騒ぎになっている。実のところ、これは日本ボクシングコミッション(以下JBC)の大失態である。それは入れ墨のある井岡をリングに上げたことではなく、JBCの安河内剛事務局長がデイリー新潮の取材に対し、「ルール違反は明らかで、現在、対応を検討中です」と答えてしまったことである。
この返答を受けて、デイリー新潮は『井岡一翔、「タトゥー」で処分へ JBCは「ルール違反。対応検討中」』として報じ、世間は「入れ墨を入れた井岡が処分される」という認識、つまりは井岡が問題を起こしたという話になった。
それがなぜ大失態かといえば、ボクシング界において「入れ墨禁止ルール」は近年、撤廃したほうが良いものとして捉えられていたからである。要するにJBCは、現在の方針とは噛み合わない答え方をして批判を浴びているのである。
この返答が「ファンデーションで隠す措置をしたはずが剥がれてしまったので、今後はルール改正も含め、そういう場合の対応を協議する」程度にしておけば、不可抗力のミステイク程度に終わったが、答え方を誤って、騒ぎを自ら大きくして首を絞める結果になっている。
「ボクシングの試合ルールで入れ墨が禁じられているのに、井岡はJBCによりリングに上がることを許されている」と批判する向きもあるが、入れ墨を理由にプロモーターとテレビ局が組んだ井岡の試合を拒否することなど、たかが業界団体のコミッションには難しい判断だ。その点において、この見方は誤っている。
〇JBCがやってきたこと
また、刺青は日本において嫌悪感を抱かれているから、井岡が処分を受けるのは仕方がないのではないか、という見方もある。
「日本には罪人への刑罰として『刺青』の文化や、反社会勢力の方の多くが刺青をしている事から嫌悪感がまだあるのは仕方ないと少し思う」
ツイッターでこう書いたのはタレントの武井壮だ。そのとおり、入れ墨は多くの日本人にとって好まれていないが、しかしそれが、この十数年のJBCの努力を無視した意見だということも指摘しておく必要があるだろう。
この15年ほどで日本は暴力団の徹底排除をしてきたし、ボクシング界はJBCが主体となって警察と連携、暴力団の観戦を消滅させているからだ。
実際、リングの外に目をやっても、そうした暴力団排除の動きは顕著だろう。アウトローやサブカルチャーを長く取材してきた筆者から見ても、たしかに2005年ぐらいまでは、彫り師と暴力団が繋がっているケースが多かった。しかしその後、暴力団排除が進み、本物の反社会的勢力にはならない、チョイワル気取りの若者がファッション的に入れ墨を入れるようになったのである。現在のタトゥースタジオで働く人々の様相は、かつての彫り師とは違ってきている。
井岡は試合に際してラッパーを連れてリングに入場したが、これもやはり、彼がいわゆるオラオラ系やB系ともいわれたストリートファッションを好んでいること、分かりやすく言えばヤンキー文化のようなものに魅力を感じていることを示しており、タトゥーもその延長線上にあることがわかる。
この手のオラオラ系のファッションは、ほかの場所でも見られる。たとえばプロレス界では、以前、後ろ髪を伸ばすのが流行っていたし、佐々木健介や天山広吉といった選手はそうした髪型にくわえて、同時に刺繍ジャンパーを着たりもしていた。それは、いかにもカウンターカルチャーの精神だった。
ただ、一般人の多くはそのストリートファッションにも憧れてはいないから、井岡の入れ墨を見て「かっこいい」とは思わず、今回の問題に「入れ墨は嫌い」と感じ、「処分やむなし」と感じているだけである。
〇入れ墨禁止ルールができたワケ
しかしそもそも、なぜボクシング界は入れ墨に関して禁止ルールを作ったのだろうか。それは、かつてのボクシング界では興行と暴力団が密接な関係があったわけだが、それに対する世間からの批判を受けて、「目に見える対策」を見せなければならなかったからである。
入れ墨をNGにしたのはゴールデンタイムに試合中継していたテレビ局からの注文でもあった。なにしろ少し前まではリングサイドに暴力団組員が普通に座っていたのだった。
しかし、時代は変わり、明らかに暴力団と無関係なファッション・タトゥーを入れる若者が出てきて、格闘技イベントのRIZINでも、次から次へと入れ墨を入れた選手が登場している。肉体を見せる仕事だからこそ、タトゥーをアクセサリーにしたがるのは十分に理解できることだ。
こうした動向を黙認するような動きもある。たとえば、ボクシング界では日本のジムに所属しているベネズエラ人の元世界王者ホルヘ・リナレスほどになると、後楽園ホールのリングに上がる際も入れ墨をファンデーションで隠させるなんて苦肉の策はさせていない。日本人でも胸にワンポイント入っている程度なら許容しているのが実情だ。
〇ルールを改正しておけばよかった
現状、ボクシング界において、選手に入れ墨を禁止することは、実際にはかなり難しい。競技人口の減少に悩む中、入れ墨を理由に若者を排除していたら人材不足になるからだ。事実、JBCも2019年の広報誌で、時代の変化を理由に、このルールについて議論するべきだと自ら提案していたのである――たくさんのサッカー選手も入れ墨をしていることが引き合いに出されていた。
しかし、村社会的なボクシング界。ルール違反の井岡に「ファンデーションで隠してくれたら」と良くも悪くも「内輪ノリ」で許してしまった――本来は、「タトゥーOK」とルールのほうを上手に改正しておけばよかったのだが。
対して中学生の反抗期みたいヤンキー的な志向になっている井岡は、塗りを薄くしてリングに上がった。
井上尚弥はツイッターで「タトゥー、刺青が『良い悪い』ではなくJBCのルールに従って試合をするのが今の日本で試合をする上での決まり事。このルールがある以上守らなければね。タトゥー、刺青を入れて試合がしたいのならルール改正に声をあげていくべき」としたが、一方の井岡はそんな業界に革命を起こすために入れ墨を広げたわけではないように見える。単なるストリートファッションだから真正面から業界と戦う気はなく、校則破った生徒みたいに中途半端なルール破りをしただけだ。
ファンデーションはしっかり塗ればタトゥーを消すことができるもので、実際に背中一面に入れ墨が入っている別の元世界王者は、いまだ問題にならず試合をしている。
そんな井岡個人のセンスはともかく、これはプロボクシングという競技にとっての重要な問題だ。世間が入れ墨が嫌いであろうとなかろうと、ボクシングにとって最も良い方法を見つけねばならない。
近年、反社と関与しないことはライセンス取得時に誓約させているから、入れ墨を入れるか否かは、基本的には、選手の自由な選択に過ぎない。そうなると、こんな徹底しにくい「タトゥー禁止」などというルールは無用で、実際にそんなルールがなければこんな騒ぎになっていなかった。そのうえで、世間の入れ墨嫌いは井岡を嫌いになればいいだけのことだ。
できれば世間がこのルールについて注目しない間に、ルールを撤廃しておけば都合が良かったが、安河内事務局長がマスコミ相手に権力者を気取りたかったのか、処分を決める倫理委員会での協議もしていないのに処分ありきの返答をしてしまった。これによってルール撤廃の話がむしろやりにくくなってしまったのが今回の顛末である。いまJBCには抗議の電話やメールが殺到しているという。
井岡が大晦日のリングに上がった時点では世間で批判など持ち上がっていなかったのに、これでしばらくは小さなタトゥーを入れているボクサーや、入れ墨だらけの外国人選手の是非も問われることだろう。リング上には傷口を塞ぐのが得意なセコンドの達人がいっぱいいるのに、社会的な動きのなかで自分で傷口を広げてしまったボクシング界…というのはなんとも皮肉な話である。
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